1587年(天正15)、小早川隆景が筑前の領主になった時に築城したといわれる。 山上には東西8`、南北20bほどの平地があり両側は「切り通し」と呼ばれ断崖になっている。現在は、石垣さえも残っていないが、城址から東西1・2`のところに「城の越」という地名があり、北1`のところには城の一角をなす「腰曲輪」があったことなどから、このあたり一帯まで城址だったと思われる。