1615年(元和元年)の大飢饉に、村人のために命を失った作男・与四郎の墓が徳照寺にある。 頃末村では、年貢米の減免のため藩に稲の出来高調査を懇願。調査に入る前夜、与四郎は、出来高を少なくみせようと稲束を隠すことを考え、田んぼの稲束を裏山に運んでいるところを役人に見つかり処刑された。与四郎は、両親を亡くし村人に助けられ成長した。この村の窮状を救い恩返ししたいとやったことがわかり、農民や奉行にも感動を与えた。