踊り念仏衆が布教のため開いた「垂間野道場」が、金台寺と呼ばれるようになった。時衆の寺。 1559年(永禄2)9月に起きた麻生氏の悲劇を記した「金台寺時衆過去帳附金台寺近世文書」と、江戸中期の作の地蔵半跏像(子安地蔵ともいう)がある。 時宗過去帳は、宗教資料としてではなく、当時の職人の存在、麻生・香月氏の資料としても貴重。半跏蔵の体内には、源頼朝が出陣にあたり兜の中に仕込んでいた「念持仏」と伝える金銅の小地蔵が入っていた。